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イタリアでのCOVID-19感染者拡大について、個人的な経験で思いあたる要因のあれこれ


ものすごく個人的見解ではありますが、いまのイタリアでの感染拡大について、自分のイタリア人家族や彼らの日常生活レベルで思い当たることをいくつか。もちろんイタリア人といっても多種多様なので、これはあくまで私のエッセイ漫画などに出てくる家族親族友人をベースとした考えです。


その1)

EUの中でも特に高齢化が進んでいるという意味を踏まえれば、こちらの記事が概ね参考になるかと思われます。

https://wired.jp/2020/03/20/why-the-coronavirus-hit-italy-so-hard/

そしてこの記事にも触れられているように、イタリアもスペインも、基本的に老人を放っておかない国民ですし、高齢者と一緒に暮らす家族が多い。

イタリアの実家も二人の高齢者を亡くなるまで自宅で介護をしていましたが、親族と限らず近所に一人暮らしの老人がいれば必ず世話を焼く。何はともあれ老人は敬われる存在なわけですが、今回はそれが裏目に出てしまったケースが多いと思われます。

実際ネットの動画にも入院中の本人による証言が上がっていましたが、自分が感染していると知らずに家に帰ってきて、お父さんに移してしまい、自分は軽症で済んだのにお父さんは亡くなってしまったという事態もあるようです。

我が家でもかつて、小姑がもらってきた風邪が85歳の祖母に感染してしまったことがありました。


その2)

少なくとも私の周りのイタリア人は、痩せ我慢は美徳だとは思っていません。

怒る時は怒る、泣きたい時は泣く。言いたいことも言いたい放題。

そして、体調がちょっとでも悪ければすぐに病院。

私の場合であれば、自分が平気だと行っても、周りに執拗にゴリ押しされて病院へ行くことになるわけです。

不安材料が芽生えればどんどん取っ払っていく。2月なかばにロンバルディア州のコドーニョで最初の感染者が見つかり、パドヴァ州で最初の死者が出た直後、ウィルス検査が大人数に対して一斉に実施された背景にはそんな彼らの不安症な性質が関わっていたのではないかと思われます。


その3)

たとえば私の義母はインフルエンザが流行り始めると薬局からワクチンを買ってきて、家族中に注射をしまくっていました。

私も今までに何度もやられました。イタリアでは日本と違ってそれが可能なのです。

うちの家族だけでなく、流行病に対する不安や気構えが日本に比べると強い人がイタリアには多いという印象はあります。


その4)

医療崩壊と言われている現在のイタリアの医療機関ですが、私もイタリアでは何度か入院をしたことがあり、そのうちの数回は病室満員ということで廊下に寝かされていました。出産をした病院でも、なるべく早く退院してくれ、ということを言われました。

病室がないので帰って安静にしていてくれ、と言われたこともあります。もちろん地域にもよりますが、病床の不足など医療管理の不具合については、もともとイタリアでは社会問題になっていました。


その5)

イタリアではいまだに風邪を引くとハンカチで鼻をかむ人がいます(少なくとも私の周りには何人か思い当たる人がいます)。しかもそのハンカチは使用される度いちいちポケットに収納されているわけで、そのハンカチを触った手で何かに触れれば菌は拡散して当然。

私の義妹はかつてインフルエンザ中に私の家にやってきて、あまりに咳き込むので日本のマスクをあげたら、大げさだと言ってもらってくれませんでした。

子供もマスクをして小学校へ行ったら「疫病じゃあるまいし取れ」と言われました。治安の悪い国では風邪とはいえ顔を半分も覆っているのは確かに穏やかではありません

でも感染症にかかった人がマスクをする習慣がもともとあるのとないのとでは、いまのような事態には歴然と出るような気がします。


とはいえ、こうしたイタリアでの事態を、文化の違う土地での対岸の火事と捉えてしまうのは危険です。

私は毎日イタリア家族と電話をしていますが、電話の後すっかりイタリアでの危機感に染められた頭で街へ出て、電車の中で若い子が空いた座席に座るなりそれまでつり革に触れていた手で菓子パンを引きちぎって食べていたり、イベントに人が集まったりしているのを見ると、とても動揺してしまいます。


「日本はどこか楽観しているように見えるけど、これは世界全体の問題。大げさだと思われても、外出もなるべく控えるに越したことはない」

これは毎回電話のたびに、イタリア家族から念を押される言葉です。


イタリアでのCOVID-19感染者拡大について、個人的な経験で思いあたる要因のあれこれ_a0087957_11041768.png
(HANAKO 鈴木おさむさんエッセイ「ブスの瞳に恋してる」イラストより)


参考エッセイ


イタリアでのCOVID-19感染者拡大について、個人的な経験で思いあたる要因のあれこれ_a0087957_11041711.jpg
(女性自身「ハッスル日記」エッセイより)
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(「それではさっそくBuonappetito!」2014年刊より)





# by dersuebeppi | 2020-03-23 11:11


昨日は下高井戸の映画館で「2人のローマ教皇」(The Two Popes)を観た。


久々の投稿:「2人のローマ教皇」_a0087957_10232887.jpg


これは映像ストリーミング会社であるNetflixによるオリジナル作品なので、配給会社による宣伝があちこちでなされたわけではないからきっとご存知ない方も多いと思う。Netflixに登録している人であればいつでも見られる作品なわけだが、私としてはやはり大きなスクリーンで見てみたかったので、映画館での公開は嬉しかった。

監督は「シティ・オブ・ゴッド」などの作品で知られるブラジル人監督フェルナンド・メイレレス。



久々の投稿:「2人のローマ教皇」_a0087957_10232267.jpg


一緒に観に行った漫画家とり・みき氏から世田谷線の電車の中でNetflixの作る映画の方向性や特徴などについての説明を受けたが、実際、映画というものの本来のあり方、そして産業化が加速する段階で映画が失ってきたもの、実在の人物を演じるとは何なのか、史実とフィクションの織り込み方など、ありとあらゆることを考えながらの鑑賞になった。


ジョナサン・プライスもアンソニー・ホプキンスもそれぞれの教皇を見事に演じているのだが、彼らの佇まいからは現実とフィクションとの境界線への意識が感じられた。それこそ、クオリティの高い役者でなければ醸し出せない“演技力”というものなのかもしれない。

そっくりその役になりきりながらも、役者たちがそれぞれのインテリジェンスを表現に昇華させて、観衆の知る実在の人物や実際のエピソードと原作との狭間を、しなやかで頑丈な絹糸のように織り込んでいる。

いい映画というのは良い役者が良い演技をしている映画、という捉え方もできるわけだが、この作品はまさにこの二人の登場人物の対話のみで構成されているので、そういった意味でも久々に極上の映画を見たという感覚に浸ることができた。


もちろん日本のようにローマ教皇そのものが何なのかそれほど知識が浸透していない国においては、その概要を知る上でもおおいに役にたつだろうし、何よりこの二人の国籍が、たまたまドイツとアルゼンチンという、歴史も国民性も文化も異なる要素を携えたバックグラウンドだという点に、さりげなくもしっかり、抜かりなく着眼しているのも小気味良い。ホルヘ・マリア・ベルゴリオ(現教皇)のアルゼンチンでの軍事独裁政権下における記憶の回想シーンも、当時のアルゼンチンの有様を、それはそれでもう一つの映画作品として捉えられるような味わい深い演出になっていたのも印象的だった。



久々の投稿:「2人のローマ教皇」_a0087957_10373908.png



あえて被写体を中心に置かない空間を生かした映像の切り取り方のセンス。突然微妙な揺れが固定されてフォーカスが絞られるカメラウォーク。3Gとはとても思えない見事なバチカン市国やサン・ピエトロ寺院の再現、スペイン語、英語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語が入り混じってもなんら違和感のない言語処理。ABBA、メルセデス・ソウザ、タンゴからフォルクローレ、クラシックにポップスといった様々な音楽の取り込み方も秀逸。

様々な忖度でがんじがらめにならない作品にはやはり潔くてポジティヴなパワーがある。


ドキュメンタリー的要素に潜むドラマティックさをユーモラスという良い舌触りのオブラートに包んで観衆の意識に浸透させていくテクニックも満遍なく駆使されているのだが、それも爺さんの言動ならではの自然さで、取って付けたようなやり過ぎ感が感じられなかったのも勉強になった。



オフィシャル・トレイラー1





オフィシャル・トレイラー2






肖像画の被写体にしたくなるようなアンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライス
久々の投稿:「2人のローマ教皇」_a0087957_10372534.jpg

上映情報:





# by dersuebeppi | 2020-03-02 10:58

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# by dersuebeppi | 2019-10-31 09:27
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シゲル




ことの始まりは、行きつけの美容室。
そこで「ヤマザキさん、虫好きだしカブトムシのペアいりませんか」とお声がけいただき、まあ、毎年うちにカブトムシ夫妻がご臨終までの期間過ごすのは定例になっているので、今年も引き受けることにした。

我が家にこのカブトムシ夫妻が届いたのは8月のお盆の頃。すでに成虫となって一ヶ月半はすぎていた模様。

もっと大きめの住処に移そうと引越し作業を始めたところ、なんと土中からもう一匹メスが。三角関係だったのか。


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三角関係



わたしはオスカブトムシを「シゲル」、表に出ていたうっすら茶の毛が目立つメスカブトムシを正妻ヨシ子、そして土中に身を隠していたピチピチの方を妾のフミ代と命名した。

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フミ代



シゲルは繁殖本能が旺盛だった。
現場を見たことはないが、土を掘ると毎度数個の卵が産み落とされている。
私は別の水槽にネットで購入したハイクオリティキノコマット(土)を入れ、そこにせっせと卵を移し替えた。
卵は数日おきに産み落とされている。
正妻ヨシ子のものなのか、妾のフミ代のものかはわからない。
ただ、とにかく卵は日々見つかった。

そうこうしているうちに9月も半ばとなり、正妻のヨシ子が急遽した。
しかしシゲルは相変わらず毎日昆虫ゼリーをカップ一つ以上平らげるほど元気だし、フミ代も心なしか頻繁に表に出てくるようになったように見えた。

そんなある日、空になった昆虫ゼリーのカップを片付けようと、指を伸ばしたところ、急にシゲルが私の指に強い反応を見せ、がっしりとしがみついてきた。
甲虫を上から掴むことはあっても、こんなに腹部にあたる前胸腹板や節足部分を強く押し付けられたことは人生で初めてだったので、わずかに感動を覚える。子供の頃から大好きであり続けてきた甲虫とやっと心が通じた気がした、その時だった。シゲルが私の日本の指に強く強くしがみついたまま、妙な動きを始めたのである。

頭部と二つの触覚を細かく震わせ、オレンジ色の唇舌も長く伸びている。
「いたたた、シゲル! 痛えよ!」と騒いでいると猫が様子をのぞきにきた。
シゲルをもう片方の手で持ち上げようにも、6本の脚は私の指にがっしりと食い込んだまままったく離れる意思はなさそうだ。

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シゲルは妾のフミ代だけでは飽き足らず、私の指にまで発情をしたのである。

かつて「昆虫探偵ヨシダヨシミ」という傑作漫画を読んでいて、カブトムシの繁殖欲と横柄さに笑ったものだが、実際自分の身にも起こってしまった。

同業者のとり・みきにそれを報告すると「良い子が生まれますように」というコメントとこのような写真が送られてきた。


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シゲルの旺盛さは、その後私の仕事場を訪ねてきた様々な人々も目撃することとなり、もはやシゲルはある意味この日本の仕事場においてもっと生命力ある生き物としてその絶対的存在感を放つようになっていった。

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そうこうしているうちに、シゲルがヨシ子とフミ代に産み落とさせた卵が、なんとみなしっかりプニプニの幼虫になっているではないか!!
透明の水槽の底を見ると、びっしり白いプニプニがうごめいている。

「うわああああああ」と自称昆虫好きらしからぬうろたえの声が仕事場に響いた。しかし、すぐに冷静を取り戻し、ネットで大きめの衣装ケースと腐葉土マットを50リットル購入。ここに早く移し替えなければ、この子らはこの狭い水槽の中でパンパンになってしまうにちがいない。その絵面を想像しただけで居ても立ってもいられなくなった。

ちょうどその時期に箱根の養老孟司氏の家を訪れ、栃木県から訪ねてきていたご友人がカブトムシを大量に繁殖させているというのであれこれノウハウを伺うことができた。

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仕事場のマンションの理事会の日に衣装ケースと土が届き、ケースを熱湯消毒、土が過熱していないか温度を確認してからさっそく幼虫の移し替え作業に入る。
原稿仕事もたまっているので、カブトムシケアにばかり没頭しているわけにはいかないとわかっていつつも、水槽にパンパンになった幼虫だけは勘弁してほしいと必死で移し替えに入る。

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↓幼虫写真(苦手な人注意)
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閲覧注意


でかい。
なんたることだ。
個体差はあるが、土もフンだらけだし、あんたたち、もうなんなのよ、なんでもうこんなにあっという間にでかいのよおっ!!と大声でひとりごちながら黙々と作業を続ける。

おそらく数は二十数体。シゲル、おまえの子孫だらけじゃないか!とシゲルに思わず声を上げるが、シゲルはポーカーフェイスのままだ。

その3日後、突然妾のフミ代が亡くなった。
私が指に攻撃をされると思わずフミ代をシゲルに押し付けようと何度か試みたことがあったが、そのたびフミ代は「やめて、勘弁してください」と逃げてしまう。その節は申し訳ないことしましたと心で謝る。

シゲルはその後も絶好調だった。
絶好調だったが、昨日の夜、家に戻ると腹を見せて水槽の中でひっくりかえっている。

シゲル!?! と何度か叫ぶも反応はない。指の間に乗せても、もうシゲルの体はぴくりとも動かなかった。あまりに唐突な死だった。なんだかんだで正妻がなくなり、妾にも先立たれて、意気消沈していたのかもしれない。

そして今朝、シゲル亡き後の水槽を掃除しようと朽ち木を捨てたり土をゴミ袋に詰めようとしていると、中からころりと小さなものが転がりでてきた。幼虫だ!しかもまだ小さい。
「まさか!?」と思って探ってみると、でてくるでてくる、幼虫になったばかりの赤ちゃんがゴロゴロゴロゴロ。
しかも、なんと卵まで出てきたではないか。フミ代はなんとなくなる直前まで卵を産んでいたのだ!!
すでに私が収集した幼虫が二十数体、それで全てではなかったのだ。
おそるべしオスカブトムシ、シゲル。

今朝、私は再び現れたさらに幼虫たちを、新鮮な昆虫マットを敷き詰めた新しい水槽に移し替えた。
もし来年の春全てが羽化するとなると、総勢で50匹近くのカブトムシが現れることになる。


わたしはいったい何をやっているのか。

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先日うちにきていた歴史学者と俳優のSさんがそれぞれお子様たちが虫に興味があるということで引き取ってくれるという。もう少し大きめの幼虫になったらお渡しすることにしよう。シゲルを指に乗せて喜んでいた女流作家にもあげよう。

30年後には昆虫がほとんどいなくなるのではないかと危惧される昨今、シゲルのような繁殖欲旺盛なカブトムシにはちょっと励まされた気持ちになった。カブトムシはメスとオス半分半分に産むというから、ということはこれを放っておくとさらに倍になる。強烈なシゲルの遺伝子を継いだブトムシがこの家に溢れる日がくるかもしれない。

冷静になれ、わたし。

成虫になるのはまだずっと先のことではあるが、少しづつ引受先を探すことにするか。


# by dersuebeppi | 2019-09-26 11:49

対談リアド・サトゥフ X ヤマザキマリ



異なる文化に出会うということは、自分の文化を理解するきっかけにもなるのです。
バンド・デシネ『未来のアラブ人』の作者リアド・サトゥフは、この作品で中東とフランスで過ごした自らの幼少期を語り、ヤマザキマリ(手塚治虫文化賞受賞)は、未知の文化に対する異邦人の視線という問題に取り組んでいます。
二人の作家が、なぜマンガという方法で、作品において様々な文化を対峙させるという試みを行っているのかを話しあいます。
この対談の司会は藤本由香里(明治大学国際日本学部教授)がつとめます。

イベントの後にサイン会が行われます。

詳細はこちら: アンスティチュ・フランセ日本 東京

対談
日時|2019年10月15日(火) 18:30~20:30
会場|アンスティチュ・フランセ東京 エスパス・イマージュ(東京都新宿区市谷船河原町15)
入場料・要予約|1000円
*チケットご購入後の返金はいたしかねますので、ご注意下さい!
言語|日本語、フランス語(同時通訳付)


Rencontre Riad Sattouf x Mari Yamazaki


Aller à la rencontre d’une culture différente, c’est aussi comprendre sa propre culture. Dans sa BD L’Arabe du Futur, Riad Sattouf raconte son enfance entre le Moyen-Orient et la France. Dans ses mangas, Mari Yamazaki (prix culturel Tezuka Osamu) se pose la question du regard de l’étranger sur une culture inconnue. Ils parleront ensemble de leur choix de faire dialoguer les cultures dans leurs œuvres à travers le dessin. Des dédicaces auront lieu après la rencontre.
Cette rencontre sera modérée par Yukari Fujimoto, professeur à l'Université Meiji.

Pour plus d'informations : Institut Français du Japon - Tokyo


# by dersuebeppi | 2019-09-23 10:19

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