三島由紀夫
2008年 11月 23日
年を取ると若い時代に激しく感情移入していた文学作品などが思いがけず客観的にしか読めなくなっていて驚くことがあります。
わたしの青春の作家はたくさん居ますが、その中の一人が三島由紀夫でした。
豊饒の海なんて全4巻読みすぎてぼろぼろになり、買い改めたほど若いわたしの心を鷲づかんだ作品です。
映画にしてもかつてはパゾリーニやらタルコフスキーやらベルイマンを見まくり、大学の仲間と論議し合うほど入れ込んでいましたが(タルコフスキーに至っては暮らしていたFirenzeにも家があったので、ピンポンしたことあります。あいにく本人はお留守でしたが)・・・・
今じゃ寝る前に見たくなるDVDはMr.ビーンです。
年齢の衰えっていうのはほんとにいろんなところで感じさせられるものなんですね。
で、実は家からそう遠くないとある文化センターで「三島由紀夫週間」みたいなことをやっており、その催し物の一環として本日は三島に関する映画の一挙3本立てがありました。
青春の師匠である三島なので、「これは絶対行かねばならん!!」と思い立ってご近所の日本人のお友達お2人を誘って行ってきました。
最初は三島自身が主演している「からっ風野郎」
二本目はイギリスを舞台にした日米合作の「午後の曳航」
三本目は日本では公開されていない緒方拳主演「Mishima: A Life in Four Chapters 」
実はこの緒方拳主演のMishimaは監督がポール・シュレーダー、製作総指揮がフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスで音楽がフィリップ・グラスという大変制作費も手間隙も掛かった質の高いものなのですが、日本では公開されていないのですね、いろいろあるらしくて。
私はこれをイタリアに留学して1,2年後くらいとの時公開初日に見たのですが、あまりに感動して後にビデオを買い、家に来る人全員に見せていました。
それから約20年近い時を経て改めて見直したわけですが。
遊びに行った家でいきなりこの映画を見せられたらたまらんですわ。
いくら自分との琴線を触れ合える人を求めていたとはいえ・・・
こんなとんでもない映画を強制的に見せていたなんて、若気の至りも迷惑の領域に到達していたとしか思えません。
でもまあ映画の質自体は今見てもなかなかいいなあ、とは思います。
「金閣寺」「鏡子の家」「奔馬」を仮面の告白にからめつつ三島の切腹までの行動や心理を表現していくのですが、日本人では作れないであろう距離を置いた日本や三島作品に対する典雅的な描写が「おお」という感じ。
三島由紀夫という人ですよ、要は。
若いときはよくわからなかったけど、まあ、なんていうか、彼の中では処理し切れなかった感受性とそれを処理しきれない彼の表現方法。自分の人生を作品仕立てにまでしなければどうしようもなかった、これはまあ、ある意味すっごいエネルギーだなあ、と思いました。
こんなエネルギッシュな人、そんなにいないでしょう。もっとみんな冷静だもの。
その辺に若い私の琴線が強く触れてたんだろうな、と実感。
一本目の「からっ風野郎」。
・・・・
まずラストは圧巻です。三島先生のために笑ってはいけないと心に強く言い聞かせつつも我慢できませんでした。
それと途中で水谷良重がエロティックなジャズバーで歌う「長くてまるいバナナ~食べたら下痢をした~」という歌にも椅子から崩れそうになりました。
あくまで真剣なシーンなんですよ?
字幕にはそこまで訳されておらず、周辺のポルトガル人は真剣に画面を見つめているので必死で自制しましたが。でもこの二つの要素だけのためにDVDを買おうかと真剣に考えている最中です。
もう三島先生、鍛えたカラダも惜しみなく披露できたし、包帯もまいたし革ジャンも羽織ったしで結構楽しかったんじゃないでしょうかね。
男の人ってのは、なんていうか、どんなに社会で揉み込まれも精神が年を取らない生き物だという気がしますが三島も全うにそれだよな、というのが率直な感想。
私の周りってそんなのばっかだし。
二話目の「午後の曳航」は美しいイギリスの港町を舞台に仕上げているので耽美的な感じに仕上がってますが、猫の大好きな人は絶対に見ない方がいいです・・・ううう・・・
ラストは小説でも「ああ、やばい・・・」という気持ちを引きずらせるものがありますが、映画は舞台の自然や景色が美しすぎるだけにもっと残酷。
もう絶対Mr.ビーンで中和させないと今夜は眠れないでしょう。
同じ時代の作家として今私は水木しげるの「ラバウル戦記」を読んでいるのですが、彼だって感受性強い人なのに、同じ戦争の時期を生きてなんでこうも違うものなのか。
とりあえず映画一挙3本は40超えた人間にはしみじみ疲れるものですね・・・
by dersuebeppi
| 2008-11-23 07:37