ジョブズ最終回を執筆しながらあれこれ思う
2017年 05月 10日

「テルマエ・ロマエ」は最終回を迎えた時、達成感と開放感に見舞われ、やれるだけのことはやったというすっきり感がありました。この漫画のヒットに絡んで様々なトラブルも併発したせいかもしれませんが、「登場人物ロスになるよ」という友人からの忠告のような現象は全く起らず、むしろ「テルマエ・ロマエのみなさん、さようなら!」という潔い思いしか残りませんでした。
しかし、この伝書スティーブ・ジョブズの漫画版はそれとは様子が違っています。
最終回を迎えたのに、1Pづつ進む度に感慨深い溜息が漏れ、この原作を、この人物を漫画化するに伴った大変さをひしひしと痛感しているのです。
原作では最後のほうで、ジョブズが自分のありのままのひととなりを容赦無く文章で表現してくれたであろうアイザックソンに「よかった」というシーンがあります。「でも読めばきっとイラつくから今は読まない」と。
私はこの漫画では、そんなアイザックソンが捉えた、要はジョブズが「読めばイラつくから読まない」ジョブズを描いてみたい思いがとにかく強くありました。
私はそれまでAppleに対する特別な思い入れがあったわけでもないし、むしろ子供がAppleストアに入り浸って小遣いをそこで使い果たして行く有様に呆れ、“カネで幸せを調達する免罪符”のようなこの会社のアメリカ的マーケティングに心底からハラを立てていた時期もありました。
ですが、エンジニアリングやビジネスという点にばかり焦点を当てるのではなく、このメチャクチャな人格のジョブズという人間自身を描いてみるのは面白いかもしれない、と思ったのです。
最初は断り、1年後に「やはりやります」と依頼に応じて、隔月で毎回40ページの連載を『ハツキス』という女性誌で始めました。女性誌での連載ということで、作品の登場人物の8割が男性で、ギークかビジネスマンのみ。連載紹介は「スティーブ・ジョブズがこんなニッポンの女性漫画誌で連載される!」的な記事がガーディアンで報道されってしまったこともありました。
確かに、話の流れは技術的開発やビジネスに焦点が当てられたものです。『ハツキス』で連載されている作品の殆どは女性向けのものですから、この雑誌で果たして毎号このジョブズの掲載を待ち構えていたり、読んでくれる女性読者っているのだろうかという疑問は未だに胸中にあります。読者からの反応や声的なものを伝えられたこともありません。
単行本も女性雑誌の帯ということで、カテゴリーは「女性用漫画」。書店でも、置かれるのは少女漫画の棚です。
これは担当編集者にも何度か相談したのですが、結局このビジネス漫画が男性の読む本のカテゴリーとして扱われるのには幾つものコンディションがあるらしく、執着するのは半ばで諦めてしまいました。
スティーブ・ジョブズの言葉や行動を抜粋したビジネスマン用の参考本や自己啓発本は沢山ありますが、この人の極端にボーダーレスな思想と行動力のレイヤーは決して人の役にたつことばかりで構成されているわけではありません。実はとても複雑で難解です。私は原作の中に描かれているジョブズという人間のそんな面倒臭さや厄介さ、そして内在している寂しさを引っ張り出す事に意識を注ぎました。
古代ローマやルネッサンスの話なら漫画家になる前から専門で学んで来た事ですし、話していて盛り上がれる人間が周りにもいるからいいのですが、ジョブズやアメリカのIT企業情勢は私にとっても疎い分野だったので、毎回、何もかもひとりっきりでやるのは試練といえるくらい辛く、「この自伝は私みたいなのではなく、ジョブズ好きの才能のある作家さんや編集者が手がけるべきだったんじゃないか」と、自分で引き受けたにもかかわらず、つい悔し涙が出そうになったことも何度かありました。
詳しい人が読む事も考慮して、毎回扱われる商品や機械、背景を調べるのにも莫大な時間が持っていかれてしまいます。幸い私を手伝ってくれている心強い作画助っ人達のお陰でなんとかなってきましたが、彼らがいなかったら私は間違いなく途中で挫けていたでしょう。
でも、そんな思いを抱きつつも、ジョブスという特異な人間を描く使命みたいなものだけを感じて、妄想ジョブズとのふたりきりの対話を軸に連載を続けてついに最終回。病気になってからのジョブズを描くのもまたいろいろ思うところがあって辛いのですが、とにかく最後まで頑張ります。
「原作に忠実に」が最初からの条件だったので、アイザックソンとは相容れない自分の私見や見解は盛り込めませんでしたが、それでもところどころは私の解釈でのジョブズを表現しています。
孤独への強い免疫、横柄で繊細。意地悪で寂しがりや。理詰めよりも情動。
いろんなことを破綻させておきながらそれを悔やみ、落ち込み、立ち直ってはまた自らも傷付くような言動を抑えられない衝動。
他の表現が間違っていても、そんなジョブズの自我と無我と経済社会の中で歪んだ性質だけは自分の感性を信じて直感で得たままを表現してきました。出る釘を打ってばかりいる風潮の強烈な日本みたいな社会では、とくにこういう人の存在が大きなヒントにもなるはずです。
(そういえば以前だれかがツイッターで「日本ではジョブズは生まれない。なぜなら、実は生まれていたのに皆潰されてしまったから」みたいなことを呟いていて妙に納得してしまいましたが)
ここまで来てもう望むものはないのですが、完結の暁にはどこかの書店で少女漫画の棚ではない場所に置かれることをしんみり祈るのみです。
by dersuebeppi
| 2017-05-10 00:59