リスボンの家
2017年 06月 03日
ハワイからイタリアまでやって来たついでにこの街まで足を伸ばし、彼はこれから同級生に会ったりするらしい。
詩人フェルナンド・ペッソアがそばに暮らしていたという不動産屋の言葉のみで即決購入を決めた築90年以上にもなる家は、図体がでかくなった息子のせいでなんだか小さくて脆く感じられる。
昨年7年ぶりにもどって大掃除をしたので今回はさほど家のメンテナンスに奔走しなくても済んでいるけど、いきなり居間とトイレの古いロール式雨戸の紐がぶっちぎれ、雨戸が閉じたまま開かなくなってしまった。おかげで外の光が入らない状態だけど、もう家のこうしたトラブルには動じることもない。慌てても仕方がないから明日でにも修理屋に電話をいれることにする。といっても週末だから、連絡が取れるのは間違いなく来週だろう。まあいいや。
向かいの家にひとりで暮らしていた男性は、昨年階段ですれ違ったのを最後に、その少し後、持病が悪化して亡くなっていた。
引っ越し当初、まだ契約が済んでおらず水道の使えない私達を気遣って、いくつものたらいに満たした水をうちの玄関の前に毎日置いてくれるような人だった。
今は彼の年老いた母がそれまで暮らしていた家を引き払ってここに住んでいる。
ほんの数ヶ月の間に起っていた、ちょっと悲しい出来事だった。
リスボンはジャカランダの花が散り始めの時期。
ジャカランダの花は日本でいえば桜みたいなもの。
白い石畳の上に散らばるジャカランダの花を踏みながら、1584年天正遣欧少年使節の4人が日本から欧州の地を踏んで最初の1ヶ月を過ごしたとされるイエズス会のサン・ロッケ教会まで散歩。
リスボンは聖アントニオ(子供を抱えた修道士の像で象徴される)の生地でもあり、この聖人は私が今暮らしているパドヴァで没している。
ポルトガルではリスボンの聖アントニオと言われ、イタリアではパドヴァの聖アントニオ、と呼ばれている引っ張りだこ聖人。
そんなことも含めて、改めて、いろいろな縁を感じるリスボンではある。
イタリアでは決して見かけないうねうねぎらぎらマニエリスム・バロック仕様の祭壇。
植民地ブラジルで算出された金をこれでもかというくらい使いまくっている。
「住んでいた時は全然興味がなかったのに、今この中を見たら驚いた」と息子。そんなもんだ。
by dersuebeppi
| 2017-06-03 01:23