イタリアのネオレアリズモと戦争映画
2016年 11月 20日
敢えて言う事でもありませんが、イタリアでも戦争や戦中戦後の社会的混乱を捉えた映画は沢山作られてきました。
特に代表的な作品の殆どは「ネオレアリズモ」というカテゴリーに属するものでしょう。
「ネオレアリズモ」と称される作品群が持っているエネルギーは独特です。
作り手から溢れ出る戦争に対する怨嗟や憎しみや悲しみといった情動性が、その中で描かれている戦争というひとつの現象の巧みな描写自体によって覆い被さるように抑え込まれている。
作り手自身が自らの思いや訴えかけ、人々と共有できるはずの感情を、作品の中で自らの意志で抑制する。
そんな傾向を私はこの時代の一連の作品から何気に感じます。
あれらの作品は、実は映画というフィクションの体裁を取ったドキュメンタリーであって、登場人物達への感情移入を避けられず涙も止まらなくなるけれど、同時にまったく乾ききった気持ちで、冷静に、事象としての戦争のありかたを俯瞰視できるところも、ひとつの特徴と言えるかもしれません。
「ネオレアリズモ」の時代からは外れ、イタリアを代表する戦争映画の監督というわけでもありませんし、どちらかというとコメディ映画が代表作になっていますが、私は個人的には深刻なテーマをユーモラスさと辛辣な皮肉で引っ張るマリオ・モニチェリ監督の作品が好きです。
特に『La grande guerra』 (邦題:戦争・はだかの兵隊) 1959年 などは戦争というもの至近距離で捉えているのに妙な思想や情動の干渉に邪魔されない傑作だと思っています。
(内容の憶測が難しい同一作品のポスター2種)
戦争映画に反戦的思想が込められているのかどうか、そもそも戦争を表現した作品というのは戦時中のプロパガンダ作品も含めて、基本的に作り手の思想や考えを読み取ったり納得したりするためのものではなく、見る人の感じたものが作品の概念になるのだと、冷静で客観的なモニチェリの作品などを見ていると感じさせられるのです。
感情的、且つシニカルでクリティカルなイタリア人の捉える『戦争』を知りたい人には、是非見てもらいたい、そんな作品です
Mario Monicelli マリオ・モニチェリ
by dersuebeppi
| 2016-11-20 15:39