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by dersuebeppi | 2013-10-19 17:32
 イタリアではネームを考える時以外は大抵国営放送のラジオ番組RAI3を聞いているのですが、この局ではジャンルを問わない様々な音楽が聞けるだけでなく、文芸関連や映画、または政治等に関する時事問題の番組も多く、つけっぱなしにしているだけでかなり多元的な知識や情報を提供をしてもらえるので大変気に入っています。
 
 先日いつも通りに朝起きてすぐにこのラジオを聞き始めたら、「今から50年前、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のエルト・エ・カッソ渓谷の村のヴァイオントダムで起こった大惨事について」という、専門家を招いての座談会方式の番組が放送されている最中でした。
 
 このダムは1960年に竣工された当時、堤高の高さが262メートルという当時世界で一番高いアーチダムとして注目を浴びていたのですが、その後1963年に天候不順が続く中隣接していた山が大規模な地滑りを起こし、膨大な土砂と岩盤が時速100km程度とされる高速でダム湖になだれ落ちました。
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 これによってダムの水は巨大な津波と化し、谷の斜面を高さ250mまで駆け上りました。ダムから240m以上の高さにあったカッソの集落では家屋が波に飲み込まれ、また5000万m³に及ぶ水が(どれだけの量なのか想像もつかないのですが)ダムの頂部を100mの高さで飛び越えてピアーヴェ川沿いの村々を襲い、とくに、峡谷の出口にあったロンガローネの集落は上空から落ちて来た水の塊の直撃を受けて一瞬のうちに村が壊滅するという、恐ろしい被害が生じてしまいました。
 災害による死者は住民・ダム工事関係者合わせて2125人とされている、当時のイタリアを震撼させたまさに大惨事です。
 
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 イタリア土木工学最高の技術で作られたダム自体は殆ど損傷が無かったのに、周辺の地質調査が杜撰だった為に村が一つまるごと消えてしまったというショッキングな出来事。イタリア人に言わせれば「あまりにイタリア的」なこの惨事を知る人も、ラジオの話を聞いていると世代交代によって今ではすっかり減ってしまったのが現状なのだそうです。忘れ去られぬ為には教育機関を通じて語り続けられていくべきである、等という提案をラジオでは延々としているわけですが、私は実はこのダムの話を既に耳にしていたので、その惨事の事情を詳しく知ることによってとても感慨深くなりました。
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 というのも、私が今住んでいるパドヴァの築500年のこの家の階下には家主夫妻が暮らしていらっしゃるのですが、ご主人はブルーノ・ザネッティン氏というパドヴァ大学で教鞭を取られていた地質学者で、我々が入居した時はご病気で直接お会いする事が無かったものの、夫人から、この方の恩師が上記のヴァイオント・ダムの建設で周辺の地質学調査の総合責任者であったという話を聞いていたのです。
 私以外のその場に居たイタリア人の家族達は皆それを聞いたとたんに閉口し、表情には複雑なものが浮かび上がっていました。「うちの夫は直接関わっていないはずなのですが…」と口ごもる夫人でしたが、明らかにその場が消化不良な不穏な空気に包まれていたのは確かです。

 人間の手が加えられた事によって津波というものが、思いも掛けないような場所でも生じるという事例としては本当に悲劇としか言いようの無いヴァイオント・ダムの惨事なのですが、地質学調査の総合責任者という立場上恩師がその後国から責任問題を問われるという顛末になってしまったのをザネッティン教授はさぞかし辛い思いで受け止めたに違いありません。

 
 実はこのザネッティン教授、長い闘病生活の末、去る10月9日(ヴァイオントの惨事と同じ日)にご自宅で逝去されました。昨日はパドヴァの大聖堂で教授の葬儀があって私も参列したのですが、高齢の学士の葬儀に集まるのはやはり年齢層の高い学者や大学関係者(ヴェネト州科学・芸術アカデミーの総長もなさっていた)が殆ど。華美さの一切排除された厳かで静かな葬儀でありましたが、追悼ミサが終わった後棺はパドヴァ大学に運ばれ、そこでザネッティン教授に師事した人々が、ひとりづつ彼の過去の思い出や功績などを語っていくというセレモニーが行われました。
 
 ザネッティン教授の人生で最も忘れ難い重要な出来事といえば、それは世界で初めてK2登頂に成功したイタリアの登山チームに地質学者として参加した事でしょう。
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 階下の教授の家に初めて入った時、壁の本棚にびっしり並べられた厖大な数の地質学関係の書籍と壁に貼られた何処の地域かも判別できない地図や写真、そして部屋の隅に飾れた仏陀の胸像に目がいきました。「チベットから主人が運んできたのです」と私の視線の先に気付いた夫人。「実は私も登山家なので主人の調査に付き合って沢山の山を上りました」無造作に沢山の小説や本が積まれた机の向こう側に座って煙草の煙をくゆらせながら、「だから私も主人もあなたと同じく、イタリア人だけど温泉が大好きなのよ」とこちらを見て微笑んだのが、何とも粋でした。単なる夫婦という拘わりだけでなく、お互いの仕事や好奇心に敬いを抱きながら一緒に行動をし、経験や記憶を共有できる。その思い入れが高齢になっても色褪せていないのは本当に素晴らしい事だなと感じました。

 追悼ミサの時に司祭が「教授のこの身体は生きている間、この地球で見つけられる沢山の事に興味と好奇心を抱き、そして出し惜しむ事無くそれらを様々な行動の原動力に変えてきました。沢山の辛い事も受け止めて来た事をわたしは知っていますが、それにも勝る喜びをこの身体は受け止めてきたのです。本当にいっぱい生きた身体でした」と話されていました。自分の励ましにも繋がるとても印象的な言葉だったので今でも頭の中に司祭の声でリフレインし続けています。

 地質学にはそれまで特別大きな興味を持った事はありませんが、ダムにしろK2にしろ、実に様々な角度から地球と向き合わせられるこの世界に生きた一人の学者が暮らしたイタリアのこの古い家屋には、私の今まで知らなかった分野の歴史が刻み込まれているのでありました。
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                 (中央の方がザネッティン教授)
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by dersuebeppi | 2013-10-12 18:01