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まずこちらに掲載されている漫画をご覧になってください。
千葉大作君

私のお友達が教鞭を取っている大学の、漫画学部の生徒さんだそうです。
私はこの事件の事知りませんでしたが、この生徒さんが亡くなってから来年の1月で一年経ってしまうそうで、なのに犯人の手がかりはナシ。
悲しいし怖いし、もうほんとにどうしたらいいのやら・・・

こちらのブログをご覧になられた方、もし「まさにこの態度は・・・」と思われるようなヤカラに遭遇したらすぐに通報を!

ほんとにこの日本の治安の悪さは際限なくエスカレートしてますね。
私の暮らすヨーロッパも、よく出かけていたブラジルも、たしかに治安は悪い部分がどっさりありますよ。ええ、通りでナイフ持って戦ってる人達を見かけたこともあるし、血を流して歩いている人に遭遇したこともあります。
でも、例えば誰もが怖がる中南米の治安の悪さなんてのはもっと具体的な理由があって、そのほとんどがやはり貧困だったり、その犯罪者本人が実質的な理由で生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよってしまった、その煽りみたいなパターンが多いと思います。
でも日本のは・・・なんだか社会的なコンプレックスだったり愛情不足だったり、要するに「キレる」という言葉で纏められてしまうような、精神的なヤバさを感じさせる犯罪が多くないっすか?
あのイギリス人の女性の事件の男もまだ捕まってないんですよね??
日本ってのはホームレスさえも新聞を読める国なんだ、ってのが一時「日本の環境の良さ」みたいに唄われてたときがありましたが、それどころじゃないですね。
ひっそり餓死する人もいるし。
ヨーロッパは貧しい人も沢山だけど、餓死するような状況になったら誰も無視しませんからね・・・
宗教など、生活の日常意識が違うからでしょうか。

日本のニュースを見るたびに「・・・・」な日々が続いていた中、お友達のこの漫画を見て心底居た堪れない気持ちになりました。

漫画を製作したお友達によりますと、この事件現場は今では造成されて立派なマンションが建ち、「ここでのことは忘れてくれ」的な展開になってるそうです。
大学でも「もうそのことは・・・」という寝た子を起すな状態だそうです。
ひどいもんだ。

早く犯人に捕まってほしい・・・
こいつもそうだけど、その他の捕まっていない大勢の犯人も全て・・・
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by dersuebeppi | 2007-12-17 17:24
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数日前、寝しなに塩野七生さんの「ローマ人の物語」の賢帝の世紀を読んでいたら、古代ローマ帝国初の属州出身皇帝トライアヌスが作った(というかサポートした)橋が未だにスペインのポルトガル国境寄りにある、と記述されていたのを見て旦那に確かめたところ

「明日行ってみっか」

ということになりました。
風邪引いたり仕事づくしだったりでかなり煮詰まってたので調度良い息抜きになりそうです。
彼の指ものさしで地図上の距離を測るとリスボンから2時間もあれば着くというので、ゆとりの気分で出発。

・・・4時間掛かりました。
しかも周辺、何もナシ。
人もナシ。
トイレもナシ。
旦那の時間の尺度はどんなに几帳面であっても結局イタリア式なので、アテになったためしはありません。

だけど橋は健在!!
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古代ローマのパワーは素晴らしい~ はあ~
惚れ惚れしてしまいます。
一度450年程前に壊れたそうですが1900年前の基礎はそのまま、修復をなされてからはずっと実用の橋として今もその上をトラックや車が通過しています。
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でも自分たち以外誰もいません。
あんまり観光スポットではないようですが、それが逆にいい感じです。
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橋からそんなに離れていない場所に、Alcantara(アラビア語で橋)という村があったので、そこでお昼ご飯を食べようということになりました。
村、って言っても誰もいません。皆家の中に引きこもっているのでしょうか。
唯一見つけたレストランはその経営者家族の居間化していて、付けっぱなしのテレビではシンプソンズがスペイン語でいろいろ喋ってました。そして小学生くらいの坊主が椅子に座っていつまでもそれを眺めておりました。
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こんなド田舎になぜこんな凄い橋が・・・と思いますが、1900年前は古代ローマ帝国の属州ヒスパニアとルジタニアを結ぶ重要な道路の一つだったそうです。

イベリア半島には、スペインにもポルトガルにもこのような素晴らしい建造物がさりげなくあったりするので驚きます。

帰りの道、道路わきの街路樹にぶつからない為の配慮でしょうか。
目がちかちかして逆に衝突しそうになります。
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by dersuebeppi | 2007-12-13 02:42
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只今わたくしは来年1月に発売される講談社のBeth8号の、津原泰水さんの連載小説「人形がたり」用イラストを製作中ですが、今回は昭和2年にアメリカから日本に運ばれた親善人形がテーマでだそうです。
親善人形というのは、要するに「青い目をしたお人形は~」のお人形のことでございますね。
日本に13000体ちかく、しかも全員パスポート付きでアメリカから送られてきて、全国の小学校に配られたんだそうです。

ときにアメリカは大恐慌時代。
迫り来る不安は西海岸を中心に日本人労働者の排斥と執拗な排日運動にと変化していきました。そうした中で金融不安と政情不安の責任を日本人に転化してはならないと考えたた宣教師・シドニー・ルイス・ギューリック氏(20年の在日経験あり)が提唱し、両国の親善を願ってアメリカの人形を日本へ送ることにしたのでした。
そしてそのお返しに日本からも市松人形などがアメリカに贈られたそうです。

しかし、このアメリカ親善人形は第二次世界大戦で「鬼畜の国からの贈り物」ということで、わざわざ竹槍で刺されるなど無残な方法でも処分され、現在では全国で300体ほどしか残っていないんだそうです。

人形を竹槍で差すという徹底振りが凄まじいものを感じさせますが。

ところでこの親善人形のことをいろいろと調べながら、私はふとその時代、10年間アメリカのサンフランシスコとロスで東京銀行の社員として駐在していた母方の祖父のこと思い出してしまいました。
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早速今年の夏に実家へ戻った時コピーした祖父のパスポートを引っ張り出してきていろいろ確認してみると、渡米したのは1918年となっています。
帰ってきたのが10年後となると、ちょうどその親善人形が日本の小学校に向けて送られてきたあたりになる計算です。
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私が祖父の過去に具体的な興味を持つ前に亡くなってしまったので、今更その当時の事情などいろいろと聞き出すことも出来ないのですが・・・ 
恐慌の煽りなどがあったのでしょうか。

なにはともあれ、大学出たてのホヤホヤで渡米してから10年目に帰国した祖父は徹底的にアメリカナイズされており、祖母と結婚して移り住んだ鵠沼の家も純和風家屋でありながら、椅子とテーブルにトーストとオートミールを朝食に食べるような生活をしてたらしいです。
だからそんな祖父にとって第二次大戦ってのはかなり悲劇な展開だったようです。

これは母から聞いたことですが、親善人形が槍で刺されて処分されてた頃、祖父はアメリカで買いためたレコードのコレクションを蓄音機ごと風呂の釜で燃さねばならなかったそうで、その火で沸かした湯船に浸かりながら「ああ~今日は音楽風呂だ!」とやけっぱちになってたんだそうです。
でも実は何枚かこっそり残してはいたみたいで、それは未だに母の手元に保管されてます。

それにしても、93歳で亡くなるまで、ほんっとに古き良きアメリカでのことを色褪せさせずに思い続けていた人でありました。
亡くなる直前でしたが、私の学校の友達が電話を掛けてきて祖父がそれを受け、私がその時所在していた場所の電話番号を「ジロ(ゼロ)、スリー、ファイヴ、・・・」という風に英語で伝えたそうで、後でその友達に「マリの家に電話したら変な人が出た」と言われたこともありました。

あと、戸田得志郎はかなりの情熱派でもあったようで、亡くなってから発覚したんですが、アメリカに住んでいる間はロシア人のダンサーのお嬢さんとお付き合いしていたらしく、几帳面に彼女のポートレートとやり取りしていたお手紙がぴっちりと張られたアルバムが出てきました。

後藤新平が外務大臣を勤めていた頃に発行された、大判サイズの仰々しいパスポートによると渡米時正確には23歳と3ヶ月。
駐在していた10年の間一度も日本に帰らなかったそうですから大した染まりっぷりっだったに違いありません。
帰国後の日本への適応も相当に苦労したんじゃないかと思います。
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我が家の人間が海外に移り住むことに対して寛大なのは、どうもこの戸田得志郎の影響ではないかという気がしてなりません。

津原さんのイラスト作業はそんなわけで思わぬところで中断してしまいましたが、また一段と感慨深く製作に励みたいと思います。
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by dersuebeppi | 2007-12-01 06:18