2017年 03月 23日 ( 1 )

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『私の友人である谷口ジロー氏は柔らかさを彩る天分を授かっていた』
"Il mio amico Taniguchi possedeva il dono di colorare la leggerezza"

イタリアの日刊紙 La Stampa に本日アップされていたイタリアの漫画家IGORT氏の記事です:
"Il mio amico Taniguchi "


谷口氏とは20年来の友人であるイゴルト氏は、この記事の中で、谷口ジローという作家が日本よりも欧州で評価されていたこと、その欧州で「漫画界の小津安二郎」と呼ばれる事が負担だという胸の内を語ったことにも触れています。

全文を訳したいところですがざっと抜粋すると:

«Perché, non ti piace Ozu?» scherzavo io. E lui, che ovviamente amava il lavoro di Ozu, uno dei massimi registi e narratori della vita minuscola in Giappone, si schermiva «no, non è questo».
「なぜ漫画界の小津と呼ばれるのが嫌なのですか?」とふざけてみた。日本の些細な日常の傑出した表現者である小津監督の作品を勿論彼も敬愛しているはずだが、「ちがう、そうじゃないんだ」と庇った。

Non gli piaceva essere inscatolato, non amava le etichette.
箍を填められたり、レッテルを付けられるのを好ましく思っていなかったのだ。

Ero a Tokyo quando lo cominciò e andai a trovarlo nel suo studio in periferia. .... Sembrava un sogno, quella velocità di produzione. Ma Jiro San, che aveva, all’uso giapponese, 4 assistenti che lo aiutavano negli sfondi, era considerato un disegnatore pigro.
東京では郊外にある彼の仕事場を訪れるようになった。……その作業時間の早さはまるで夢のようだった。しかし、4人のアシスタントに背景を手伝ってもらうという日本の方式で仕事をしているジローさんは、それでも自身を怠惰な作家だとしていた。

Malgrado la sua rapidità fosse un miraggio per un disegnatore occidentale, rispetto ai colleghi giapponesi era poco prolifico. Contravveniva alla regola della quantità, e della continuità opponendo una ricerca ossessiva della qualità.
欧州の作家にとっては彼の作業の早さはまるで幻影のようだったが、日本の同業者たちに比べると彼は寡作だ。品質への追究を徹底するとなると、量産と継続の法則には従えないだろう。

«Sono troppo lento per lo standard giapponese! Igoruto San», così mi diceva spesso.
『イゴルトさん、僕は他の作家に比べたら遅過ぎるんですよ』ということを、彼はいつも口にしていた。

....(la sua opera Harukana Machie, Quartieri lontani, avrebbe venduto oltre 300.000 copie solo in Francia) un giorno nel suo studio mi confessò: «sono povero».
(『遥かな街へ』はフランスだけでも30万部も売れた)、ある日彼の仕事場で『でも僕は貧乏なんだよ』と告白してくれたこともあった。


Jiro ascoltava musica, spesso, quando lavorava. Gli piaceva il rock. Era quasi infastidito dal fatto che si pensasse che lui ascoltava solo musica classica. «Mi piace», ma preferisco il rock.
ジローは作業中にはよく音楽を聴いていた。ロックが好きだったようだ。クラシック音楽しか聴かないように思われるのは迷惑がっていた。『好きだけど』、でもロックのほうがいいな、と。


Un giorno a Bologna mi disse «sono allergico all’olio di oliva». Al che risposi: «andiamo bene, Jiro San, in Italia è come dire che sei allergico all’aria, l’olio d’oliva è dappertutto, in quasi ogni piatto». Cercavamo ristoranti giapponesi, o cinesi.
かつてボローニャで『僕はオリーブ・オイルアレルギーなんだよ』と言われ、『ジローさん、それはヤバいですよ、イタリアでオリーブ・オイルのアレルギーだってことは空気のアレルギーだって言うようなもんだ。オリーブ・オイルはどこにでもあるし、どんな料理にも使われてるし』と答えた。そんなわけで僕らは日本食か中華のレストランを探して歩くことになった。


Dopo tanti anni, Jiro si ammalò, andai a trovarlo a casa, un onore che i giapponesi concedono solo agli amici intimi. Mi mostrò quel che stava disegnando. C’erano disegni meravigliosi, come sempre e un senso di pace che amavo. Quando lui e sua moglie Takako mi accompagnarono alla metropolitana Jiro mi disse: «disegnerai le tue storie per chissà quanto tempo ancora».
だいぶ年数が経ってから、ジローは病気になり、日本では信頼のおける友人しか許されないことだという敬意を抱きつつ、家まで彼に会いにいったことがある。彼は作業中の絵を見せてくれた。素晴らしい絵が沢山あり、それはいつもと同じ私の愛する平和的な感覚であった。奥様のタカコさんと一緒に地下鉄の駅まで送ってくれた時、ジローが私に「君はまだこれから先もずっとお話を描いていくんだろうね」と言葉をかけてきた。

«Anche tu Jiro San, voglio vedere tante storie nuove tue».
「ジローさん、あなたもです、あなたの新しいお話を沢山見たい」

Poi fu il momento dei saluti e lo guardai fisso negli occhi, che brillavano di tristezza.
それから別れの挨拶を交わすときとなり、私は悲しみが潤み輝く彼の目をじっと見つめた。

………

イゴルトさんは、この谷口先生へのオマージュ動画の一番最初に出てくる半纏を来た人です:



谷口先生は日本でももっと評価されたいとおっしゃっていたけど、実はまだ欧州では偏見を持たれがちな“日本の漫画”というものの多元性や幅の広さ、経済的生産性にとらわれている作品ばかりではないという側面を、それぞれが1枚の絵画のように丁寧で、かつ奥行きのあるお話と演出を叶えた珠玉の作品を通して確実に伝えてくださった、私にとっては本当に本当に本当に掛け替えの無い大先輩です。
このインタビュー記事を読んでいても、そのアプローチがしっかりと欧州の作家にも届いていたことが把握できて、読んでいて胸が熱くなりました。

ありがとう谷口先生。
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by dersuebeppi | 2017-03-23 19:40