クラス会考

春のせいかしりませんけど、最近みっちりと濃い夢を見ます。

ベットから出て慌しく動き始めた時点でたいてい寝起きで覚えていた夢の事も考えなくなるのが常なのですが、なんだかここ最近は脳裏に焼き付けられた映像が色褪せず、ヘタすると数日その夢のことなどを考えていたりすることもあるわけです。

良い夢もあれば、恐怖な夢もあり。恐怖な夢の場合は一端目が覚めたりしますね。心臓も激しく鼓動を打っててびっくりします。
でも場合によってはそういう切迫した状況になると夢の中で「待て、これは夢なのかもしれないではないか、そうきっと夢だからちょっと目覚めよう」と冷静に判断する時もあります。
逆に良い夢の場合は目が覚めてからがっくり落胆することもありますが。

ちなみに昨日の夢は昨年8月にやった中学校のクラス会のメンバーがいろいろ登場する夢でした。
カテゴリー的に分類すると、物凄く現実味を帯びた内容で、ファンタジックな演出一切なし。
なぜなら実際にクラス会をしたときに出会ったあの中年の面持ちに変貌したクラスメート自体が既に軽くファンタジーだったからでしょう。

それにしてもクラス会ってのは不思議なもんですよね。
自分の嗜好でセレクトして集まった気の会う仲間というわけでもない集合なのに、数年その面子で一緒に過ごしてしまうと妙な仲間意識みたいなのが自分の意志とは関係なく生まれていた、それを実感させられるミーティングというか・・・

自分と決して話が合うわけじゃなくても、決して何を分かち合えるわけじゃなくても、必然的に数年間毎日一緒に過ごしている為に、否が応でもそれぞれの長所をそれなりに見出して、長く一緒にやっていく術を無意識のうちに身につける。中学生のその頃ってのは、いわば人生で初めて自らの懐をどこまで広げられるかってのを自覚もせずに試みていた時期だったのかもしれません。

振り返れば中学生の3年間なんてのは「人生で一番ダサい時期」(By中学生日記/Q.Q.B作 青林工藝舎)なんですけど、同時に初めてそれぞれの人間の持つべく寛容性を一生懸命に育ませていた時期でもあったかもしれないと思います。

(ちなみに、私はこの中学校社会で周辺の女子と円滑にやっていくにはとりあえず「たのきんトリオ」の誰かを好きにならねばならぬと思い、とりあえず皆の人気が若干少なめな「よっちゃん」を選択しましたが、
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長持ちせず、結局本当に好きなのは佐野元春だと公言したらしく、
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卒業するときのサイン帳には「佐野マリ様」と書き記してくれる人で埋まっていました)

・・・考えてみたら高校生になるともう完全に自我が確率化して、無理に自分と話の合わない人と友達になろうとはしませんでしたからね・・・というか、私の場合はクラスや学校どころか暮らしている国自体変えないと我慢できなくなってしまって外に飛び出してしまいましたし。人とどう接するなんてことより、自己に関する哲学世界でいっぱいいっぱいになっていたというか。

そう思うと実に奇怪で面白い時期だったな・・・というのが私の中学校の思い出です。多分一生忘れることはないでしょうね、こうして夢にも見るくらいなんで。

ちなみに私はこんな事は日本人くらいしかしないんじゃないかと思っていたら、うちの旦那も数年前に地元でクラス会もどきみたいなのに参加してましたから(嫌々行きましたが帰ってきたときは嬉しそうでした)、イタリアでもやってんですね。中学校や高校の同窓会。
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by dersuebeppi | 2009-02-27 18:30